戦国新報
 
 
平成8年 前期
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正直者は馬鹿をみる?
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 信長が光秀の謀反で殺された時、秀吉は毛利軍と向き合っていた。信長が殺されたことを聞いた秀吉は、すぐに毛利方に使者を送った。「こういう事件が起きたので和睦したい」と申し出た。毛利元就の息子の隆景は瀬戸内の水軍、小早川家の養子になって、小早川を名のっていた。隆景の兄、吉川元春は主戦論を唱え「今が好機です。秀吉軍に立ち向い、光秀と手を組み織田軍を挟み撃ちにするべきだ」
 しかし隆景は反対した。「今は秀吉と和睦すべきです。なぜならこの国でもっとも大切なのは、早く戦を終わらせ平和にすることです。それができるのは羽柴秀吉以外ありません。いずれ天下は秀吉のものとなるだろう。父元就も毛利は決して東の方向へ野望を抱いてはならぬとおっしゃいました。今が秀吉と和睦するチャンスです」隆景の意見が通り、秀吉も危機を脱した。
 秀吉が自軍の秘密をまるまるさらけ出し、毛利に和睦を申し出たことが、小早川隆景を感動させたのである。隆景も秀吉と同じように《人生、意気に感ずる》武将であった。
 正直者は馬鹿をみるということわざもあるが、秀吉ほど正直に人と渡り合った人間はいない。今の世も不況で危機に立たされた時こそ、相手の目をみて、自信を持って渡り合うことが、相手にも感動を与えるのではないだろうか。だが、むずかしい。
【文:高田 金道】