秀吉が北条氏を攻めた時、伊達政宗は招請を受けながら形勢を傍観してなかなか出陣しなかった。しかし秀吉の優勢を感じて叱責を覚悟の上、小田原にやってきた。
すると秀吉は、一度我軍の陣営を見せてやろうといって山の上に登り、いちいち指さして説明した。その時、秀吉は自分の刀を政宗にあずけ、小姓を一人連れただけだった
。 後に政宗はこの時のことを「ただ恐れ入るだけで、太閤殿を害しようという気は少しも起きなかった。まったく大器と天威を持った人である」と語ったという。さすがの政宗も秀吉に心服してしまった。
秀吉にはそれほど人をひきつける魅力があったようである。それは天性の人柄か、あるいは幼い頃から諸国を流浪し、人情の機微というものを知りつくしたことによるものであろうか。
人をひきつける魅力を持つことが、指導者にとってきわめて望ましいことだと思うのだが、人徳というものは先天的な面もあって、誰でも簡単に身につけられるものではないし、なかなかむずかしいことのようである。
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