戦国新報
 
 
平成7年 前期
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決断と方針を示す
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 中国地方の毛利を攻めるため信長の命令を受けた明智光秀の一万三千の軍勢は亀山城を出て、丹波路を進み、桂川にいたった時、「敵は本能寺にあり」と告げられた。それまでは、信長を討つことはわずかの重臣しか知らず、他の者は中国に出陣するものと思っていた。
 しかしひとたび命令が下ると一万三千は怒涛のごとく京都に押し寄せ、謀反に成功するのである。
 このように戦国時代は大将が一つの決断を下し、方針を示せば部下は命令のままに行動したようだ。 また、指導者が東に行くと決めた場合、心に従うかどうかはともかく「自分はそれに反対だから西へ行く」という部下はほとんどいないといっていいだろう。
 だからこそ指導者は進む方向を定め、それを明確に示すということがきわめて大切なことである。
 また、その方針に誤りがないという判断を的確にしなくてはならないということのようだが、今の時代はなかなかむずかしいことのようだ。
【文:高田 金道】