天下を平定した秀吉はある日大坂城に大名達を総登城させた。三百余名の大名は大広間に集まった。そこへ秀吉が普段着のまま現れた。平伏している大名達の前で秀吉は『このわしの天下の名城、大坂城を攻撃するにはどのようにしたらいいか。その戦略を遠慮なく申せ。名案にはほうびをとらせる』と言った。秀吉の言葉は大坂城はどんな攻撃にも落ちないという自信があふれていた。そのうちさまざまな戦略が大名達の口から飛び出した。が、どれも秀吉の意にかなうものはなかった。一人一人が発言するたび『ばか者が何をいうか』『なってない』『それは愚案だな』と小さな声で批評していた。家康は秀吉のすぐ近くにいるので他の者には聞こえない秀吉の声が耳に入った。やがて『皆の者今日はご苦労であった。今日のところはみな落第じゃ』といって座を立った。その時『みんなばか者だ。どうということはない。濠を埋めたら落ちるわい』とひとりごとを言った。家康は目を光らせてその言葉を胸にきざんだ。
やがて秀吉が亡くなり、時代は家康の天下となり大坂冬の陣に突入していく。難攻不落の大坂城は高い石垣と広い濠があり、三十万の家康軍でも容易に攻略することはできなかった。そのとき家康の胸中に秀吉のあの言葉がよみがえってきた。『濠を埋めたら落ちる』。やがて夏の陣に戦いは移り、家康は大坂城の濠を完全に埋め、予定どおり落城させたのである。秀吉がうっかり口を滑らせたため、難攻不落の大坂城は落城してしまったのである。口は災いのもとと言うが、いつの世もほんのささいな言葉が自分の信用を落とすという教訓ではないだろうか。
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