戦国新報
 
 
平成7年 後期
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正月の門松と家康
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 徳川家康が一番恐れていたのは武田信玄であった。信玄の国は竹林が多く茂っている。家康はその竹を斜めに切って、その回りを松でぐるっと囲み、門松として飾り一年の安泰を祈ったという。この門松には竹(武田)の頭をスパッと斜めに切り落とし、そして回りを松(松平)で囲んで武田軍を討ち滅ぼすという願いが込められていたのだと思う。元旦からそういう心がまえであったからこそ、徳川時代は二百七十年余り続いたのではないだろうか。武田の「竹」と徳川(松平)の「松」の関係である。それだけ信玄は回りの国々に恐れられていたのである。
 また甲州地方では今でも竹だけの門松を飾る家もあるといいます。いかに心がまえが大事かということがわかるような気がする。
【文:高田 金道】