戦国新報
 
 
平成6年 後期
もどる
暗い職場を活性化させた知恵
すすむ
 信長の家来だった蒲生氏郷は戦国時代、若いが人使いの名人と言われた。彼が日野の城主だったころ、まだ収入はそれほどなかった。しかし部下たちはよく仕事をし、手柄をたててくれる。だが、なにしろお返しができない。そこで氏郷は手柄をたてた部下を自分の家に呼んで風呂に入れた。その上、風呂は自分で焚いてわかし、外から「湯かげんはどうだ」と聞く。これには部下は参ってしまった。風呂の中でユデダコになりながら涙を流した。
 この風呂は「蒲生風呂」と呼ばれるようになった。部下たちは争ってこの風呂をもらおうと、一生懸命がんばったという。がんばればがんばるほど部下たちの雰囲気は良くなり職場も明るくなった。
 信長の死後、氏郷は秀吉の部下になり、会津九十一万石の城主となった。また、秀吉にとって家康よりも、恐れられる存在だったようである。
 戦国時代の武将たちは、知恵をしぼって巧みに部下たちのヤル気を起こさせることを考えていたようである。
【文:高田 金道】