戦国時代の武将は独裁者の見本のようなものだったが、そんな時代に議会制民主主義に近い制度を取り入れていたのが小田原城主の北条早雲である早雲は家中から代議士のような者を選び、取り決めごとをすべてここに任せた。ところが議会制というものは、簡単に物事が決まらないもので、お互いが議論ばかりくみかわしていると時間ばかりくってしまいます。このことから、なかなか決まらない会議を「小田原評定」というようになった訳です。それにしても戦国時代の最中、急な決断が求められる時にこのような制度を取り入れたというのは、自国の将来を考えて、子孫にどうしようもない者が現われても治世がうまくいくようにと考えてのことだったと言われています。このほかに早雲は城下の者に、早寝、早起き、また嘘をつかないことを命令したと言われています。
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