戦国新報
 
 
平成11年 前期
もどる
友人・友情
すすむ
 人生の危機に直面した時、頼りになるのは、家族はもとより心を許せる友人である。
 秀吉には、信長に就職して以来、長く親交を深めた前田利家という友人がいた。加賀百万石の基礎を作った人物だ。秀吉は百姓の出身ということで他の武将達には嫌われていた。だが、利家だけは、秀吉の家柄も気にせず友人として家族共々付き合ってくれた。
 時は過ぎ、秀吉はトップ信長が倒された後の織田家後継者争いで柴田勝家と対峙した。利家は勝家の配下の大名であった。上司である勝家には義理人情として協力しなければならないし秀吉との友情も捨てがたく、やがて合戦の最中、戦場から撤退した。これが勝敗を分ける原因になった。秀吉の勝利は前田の撤退によってもたらされた。世に言う「賎ケ岳の合戦」である。
 合戦の後、前田家を訪ねた秀吉は、利家に会う前に妻である「お松」に会ってこう言った。「前田の立場は微妙だった。柴田側にとっては裏切ったことになるが、自分はこれからも家族同様変わらぬ友人として付き合っていきたい」と感謝の気持ちを涙を流して伝えたという。
 今の不況の世の中、仲間、友人とのつながりが情報を集めるためにも一番大切なような気がする。
【文:高田 金道】