戦国新報
 
 
平成8年 前期
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秀吉の軍師、半兵衛と官兵衛、ライバルの友情
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 荒木村重の信長へ謀反がおこった時、官兵衛は単身で村重の居城に向かった。だが村重に会う前に捕らえられて、投獄されてしまった。信長はいくら待っても現れない官兵衛に苛立ち、官兵衛の反逆と決めつけ、秀吉に、官兵衛の息子の松寿丸を殺せと命じた。それを聞いた半兵衛は信長を諫めたが、とうてい聞き入れてもらえなかった。しかし半兵衛は信長の命令にそむき、松寿丸を自分の居城に隠した。
 その後、村重の居城有岡城は陥落し、無事に官兵衛は救出されたが、官兵衛の膝はおとろえ、頭髪は抜けて、全身湿疹のありさまであった。官兵衛の赤心を知った信長は、官兵衛に会わす顔がないと嘆いたが、松寿丸が生きていると聞いて、胸をなでおろした。軍令違反を許さなかった信長も、死を恐れず、官兵衛への仁を貫いた竹中半兵衛に感動したという。
 いきさつを知った官兵衛が、「わが子の恩人、竹中どの会わせてくだされ」と秀吉の回りを見回した時、家臣達は、皆首をたれた。秀吉は悲しげに首を振って、思わず涙した。半兵衛はこの年の六月に三十五歳で病死していたのである。 半兵衛と官兵衛は戦国において、希有の切れ者であったし、また仁者でもあった。そしてこの二人を抱えた秀吉という大将の器は、まさに天下人としてふさわしいものがあったのではなかろうか。
 今の世も不況であればあるほど、人と人の友情をもって立ち向かえば、功を奏するのではないだろうか。だがなかなかむずかしい。
【文:高田 金道】