戦国新報
 
 
平成8年 前期
もどる
うぬぼれが油断になる
すすむ
 戦国時代、信長ほど用心深い武将はいなかった。常に自分の回りには二千人以上の兵を引き連れていた信長だったが、天下を目の前にして本能寺ではわずか百人程度の兵士しかおかなかった。その油断につけこみ光秀は謀反を起こしたのである。まさか身内から反逆者が出るとは夢にも思わなかっただろう。まさに油断大敵、火がぼうぼう。最後は本能寺の火の中で自害した。四十九歳の生涯であった。
 この信長暗殺から秀吉の天下取りまではひとつのラインで結ばれていたという歴史の裏話がある。 毛利〜安国寺恵瓊〜足利義昭と光秀とのライン。毛利〜安国寺恵瓊〜秀吉とのライン。この二本のラインの接点にいたのが安国国寺恵瓊ただひとりだった。安国寺恵瓊は秀吉と密約を結び、一方では義昭の野心をあおり、ノイローゼ気味の光秀を反逆者に仕立て上げたというものである。
 結局、秀吉の仕掛けた罠に光秀がはまり、主君殺しの汚名を着せられたまま、山崎の合戦で秀吉に負け三日天下に終わるのである。
 こうしてみると秀吉はただ運がよかっただけではなく、実のところは大策謀家だったわけで、さすがの信長もこの謀略を見抜けなかったということになるのだが、はたして本当のところだったのであろうか。
【文:高田 金道】