戦国新報
 
 
平成8年 後期
もどる
自分の軍隊の性格を知らなかった義元
すすむ
 信長は二万五千の大軍を率いて京都へ向かう今川義元を桶狭間で襲った。信長の天下統一へのデビュー戦である。信長率いる手勢は約二千五百。普通ではまず勝ち目のない戦である。信長はなぜ勝てたのか?簡単に奇襲が成功したと言われているが、その裏には緻密な情報戦があった。もしも今川方に優秀な副司令官がいたなら、義元が倒されても二万以上の軍隊に囲まれた信長軍は、あっさり全滅してしまうのではないだろうか。
 今の時代で考えると、今川方の中佐クラスの幹部半分は城詰めで、現場の中隊長以下は『農兵』であった。農兵はいわゆる農民である。義元が『京都に上って天下に号令をかけるからついてこい』と言っても、土地にすがりついている農民にとって、とうてい理解できるものではなかった。今川の軍隊は農兵という弱点を持っていたため、本陣を急襲された軍隊はすぐに自分の土地に逃げ帰ってしまったのである。
 信長はそういう情報をいち早くキャッチし、逆に義元は自分の軍隊の性格を知らなかったのである。
 いつの世も相手の情報を知ること、自分の会社の性格をよく知っておくことが大事なような気がするが、なかなかむずかしい。
【文:高田 金道】