戦国新報
 
 
平成6年 前期
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生まれながらの城主、信長の失敗
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 信長と秀吉、家康とを比べてみると、貧しい足軽の家に生まれた秀吉は、十五歳で故郷を出てその後は、下積みの生活が長かった。また家康は六歳から人質として忍従を強いられた。
 この二人の苦労に対して、信長は生まれながらの城主の子として、多くの家臣を従え、人格が形成される年頃に、これといった苦労はほとんどしていない。
 幼い頃から自分の思いのまま振る舞えた信長にとって、そのことが大きな自信にもなったが、決して人の意見を受け入れようとしなかった。
 光秀に限らず、浅井長政、荒木村重、高山右近らが離反していったのも信長のこういう性格が影響している。自信ばかりが先に立って、人を見抜く目が欠けていたことと、家臣の忠言を聞かなかったことが、本能寺の変につながり、みずからが墓穴を掘るという結果になったようだ。
【文:高田 金道】