戦国新報
 
 
平成6年 前期
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夫を慕う内助の功
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 土佐二十万石の大名に出世した山内一豊の妻といえば、亭主のために自分のヘソクリで名馬を買ってやったという話で有名だが、本当の内助の功というのは、関ケ原の合戦の時の話である。秀吉が死んだ後、石田三成が徳川家康に謀反の軍を起こした。三成と上杉影勝のもくろみで、会津で軍を起こした上杉影勝を討つため家康は大軍を率いて会津に向かった。
 現在の栃木県小山市当たりで軍議を開いた家康は、「こんなとき、上方の情報を知らせてくれるような人間はいないものか」といらいらしていた。山内一豊もこの陣の中で不安な気持ちでいたようだ。そんな時、突然上方にいる妻から手紙が来た。一通は一豊宛て、一通は家康宛てであった。その家康宛ての手紙の中には、家康が知りたいと思う上方の石田三成の行動がこと細かく書かれており、すぐにでも上方に軍を戻して三成軍と戦いを起こしてください。と書かれてあった。
 家康は一豊の顔を見て「山内殿の妻女はすばらしい。ほかの大名が誰もやらないことを私に教えてくれた」「これこそ本当の内助の功というものである」とほめたたえた。
【文:高田 金道】