戦国新報
 
 
平成5年 前期
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戦国時代きってのワル「松永久秀」
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 松永久秀は斎藤道三とおなじく、梟勇(きょうゆう)と呼ばれた。その行動が人の意表をつき、その上あまりいいことをしなかったからである。 織田信長があるとき松永久秀を徳川家康に紹介したとき「この男は松永久秀といって相当なワルです。主人だった足利将軍を三好一族と謀らい殺し、今度はその三好一族を裏切り、さらに奈良の大仏殿を焼くような悪事をしました。私にはとてもまねができません」
 これを聞きながら、松永はニヤニヤ笑っていた。腹の中では「よくゆうよ。おまえさんだって比叡山を焼き払ったり、一向宗徒を焼き殺したりしたではないか」とつぶやいていた。
 不思議なことにこういう男に部下がよくついていった。彼は悪党であったがかなり「信望のあるトップ」でもあったのである。
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【文:高田 金道】