戦国新報
 
 
平成4年 後期
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家康の謙虚な姿勢の考え方
「滅びる原因は自らの内にある」
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 天正元年(一五七三年)最大の敵、武田信玄が上洛を目前にして病死した。家康はもとより天下取りを狙う誰もが喜んだことはいうまでもない。前年、家康は三方ヶ原で敗北を喫している。
 しかし家康は宿敵の死を喜ばずに部下に言った。「信玄という宿敵のお陰で、我々は緊張し、また軍備を整え、よい政治を行なわんとつとめてきた。信玄が死んだ後の気のゆるみこそ、もっと気をつけなければならない。平氏を滅ぼすものは平氏なり。鎌倉を滅ぼすのは鎌倉なり、恐ろしいのは敵に滅ぼされるのではなく、滅びる原因は内にある。油断、贅沢、不和、裏切り…すべて味方のなかから起こることだ。これからはこれらのことに注意しなくてはならない。むしろ生前の信玄の心配よりも大きいだろう。強敵の死は少しも喜ぶべきことではない。」
【文:高田 金道】