戦国新報
 
 
平成13年 後期
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人の見方は見る角度によって評価が違う
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 人の見方、評価は人によっていろいろ違う。また人を見抜くこともなかなかむずかしいが、相手の性格が自分と合うか合わないかでも、見方がかなり違うし、人を見る物差しによって相手の評価が生まれるような気がする。
 今月の4日の戦国新報で書いた秀吉と三成の出会いの話では、三成のお茶の作法を見抜いた秀吉が、三成を自分の近習にした。「気の利いた子供だ」と秀吉は感心して評価したが、これはさいわいに秀吉にお茶の心得があったからこそ三成の才覚を認めることができたと思うのである。もしお茶の作法も知らない武将であったらなら、「こんなぬるいお茶なら水の方がいい」と言って、その場でこの小姓を怒ったに違いない。
 人の見方は自分の持っている趣味によっても見る評価が違うような気がする。
 仕事のつきあいでの評価、酒飲み仲間での評価…。苦労した人、あまり苦労を知らない人、趣味の多才な人など、それぞれがいろいろな関係の中、人を評価する角度によってかなり違うような気がするのである。
 今の不況の世の中、景気が悪い時代は、いろいろな形で、人の評価もさらにきびしくなってきているような気がする。こんな世の中だからこそ、いろいろな人たちと交流を深めて、人を見る目を勉強していかなければならないと思うのだが、現実はなかなかむずかしい。
【文:高田 金道】