戦国新報
 
 
平成12年 前期
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泥をかぶれるか…補佐役
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 名補佐役とは、トップに対する忠告ができるか、また「猫の首に鈴をつけれるか」ということになるのではないだろうか。ようするにトップに「何をさせるか」「何をさせないか」という二つの選択があるような気がする。
 徳川家康は「補佐役の諫言は戦場での一番槍よりもむずかしい」と言った。
 トップの顔色ばかり伺い、言うべきことも言わないようでは、補佐役とは言えない。言うべきことはキチンと言い、そしてそれをトップに理解してもらい、それが危険なことであるならば、思いとどまってもらうことが大事である。だが補佐役の言う通りにしてれば間違いがないということでもない。お互いに話し合い、理解し合い、よく聞く耳を持つことが大事である。
 戦国時代、秀吉には竹中半兵衛、石田三成には島左近、上杉景勝には直江兼続という名補佐役がいた。トップのために泥をかぶれる名補佐役達である。
 関ヶ原の合戦で景勝は家康に敵対した。戦後処分で敵対した名大名達は処刑されたが、直江兼続は家康に対して「今度の不始末はすべて私の補佐がいたらなかったためです。私の領地はすべてお返し致しますので私を処刑してください」と言った。家康は兼続の言葉と態度に感動し、「わしに味方した各大名達にも兼続のような名補佐役がいるはず。兼続を処刑すれば、彼らを刺激することになる」と兼続に対して何のとがめもなかった。
 今の世で考えるとなかなかむずかしい考え方だ。

【文:高田 金道】