戦国新報
 
 
平成11年 後期
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くやし涙の捨て身の決断
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 甲子園予選も終わり勝利を得た選手達はうれし涙を流し、負けた方はくやし涙を流して思い出を残した。死にものぐるいの練習に耐えた勝敗の涙は、社会人になり、競争社会において、必ず役に立つ涙だと思う。
 不況の競争社会では、今は勝者であってもいつ敗者側に転落するかわからない。しかし同じ負け方でも単なる負け犬になるのでは、相手になめられる。負けてもこいつ手強い。二度と敵に回したくないと相手に恐れられる負け方をしてみせる事が大事なような気がする。
 関ヶ原の合戦で西軍は総崩れとなり、戦場に残るは薩摩軍の島津義弘隊だけとなった。島津義弘は「全軍一丸となつて敵中を突破すべし。これは敗走ではない堂々と正面から敵陣を切り抜いて撤退しよう」と部下達にゲキを飛ばした。不様な敗走よりは、島津の武名は天下に鳴り響くだろう。薩摩隊は火のついた矢のように、東軍に突入、家康の本陣前を疾風のごとく駆け抜けた。さすがの家康も敵中突破の薩摩軍の勇猛さに驚き、恐れたという。
 戦後、西軍に加担した多くの大名はとりつぶされるか、あるいは領地削減されたが、薩摩軍島津義弘だけは、家康に恐れられ領地は手につかず安堵された。
 不況の世の中、捨て身の決断も時と場合によつては、必要な気もするがなかなかむずかしい。
【文:高田 金道】