戦国新報
 
 
平成11年 後期
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三十一歳の海道一の弓取り
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 人は困難に直面したとき、逃げるか、意地でも立ち向かうか決断しなければならない時がある。たとえ失敗に終わっても「この男なかなかやる」という印象を与えることで、後々その人にとって大きな財産になるような気がする。いくら優れた意見を述べる人でもいざという時に逃げ腰になるようでは、他人の信頼が薄れるような気がする。
 戦国の世、武田信玄は三万五千の大軍を率いて「風林火山」の旗をなびかせ京を目指し、破竹の勢いで徳川領に入ってきた。信玄は部下達に「徳川の若造など相手にするに及ばず。ひたすら京への道を急げ」と言い放ち、三方ヶ原にさしかかった。家康は「武田軍は確かに勇猛であるが、わが城下を踏み散らして通るのを黙って見ていては武門の恥。腰抜けと後世まで笑いものになってしまう。勝敗は天運にまかせ立ち向かおう」と戦うことを決心した。この命がけの決心が部下達を奮い立たせた。そして三方ヶ原で天下無敵の信玄と堂々と渡り合ったのである。戦いには負けたが、家康の武名は天下にとどろき「海道一の弓取り」と恐れられた。
 不況の世の中、何事も恐れず一生懸命に知恵を出し、努力して立ち向かうことが大事なような気もするが、なかなかむずかしいことだ。
【文:高田 金道】