戦国新報
 
 
平成9年 後期
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りっぱな城より優れた人材
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 戦国時代に大名にとって命より大事なものは「城」であった。城は戦略、戦術の「要」であり、自国のシンボルでもあったために、その建設には膨大な費用と日数をかけて作ったのである。
 信長は安土城、秀吉は大阪城、家康は江戸城と、武将の名をあげれば城の名が思い浮かぶ。
 だが、一人だけ例外がいた。それは武田信玄である。甲斐の国には、本城がなかったのである。作ろうと思えば城の一つや二つは作れたはずだが、甲斐の国は山に囲まれた内陸、これといった産物もなく、領民の暮らしは非常に貧しかった。それにりっぱな城を築けば武将達は城にたより、戦闘に消極的になる。城を築く費用と兵力があれば、戦いの前線に投入して敵地への進入をはかるべきというのである。戦闘に大切なものは城ではなく人であるという信玄の城無用論は「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵なり」という言葉に現れている。
 今の不況な世の中を乗り切るためには、設備や道具、コンピュータも大切だが、「人材」こそがそれ以上に大切である。だが、なかなかむずかしい。
【文:高田 金道】