今川義元のしきる四万の大軍が、尾張に押し寄せてきた時、織田家の重臣たちは篭城して防ぐことを主張した。味方はわずか三千、まともに戦っては勝ち目がない。領民の間にも織田家は滅びるという声があちこちで聞こえてきた。しかし信長はそうした重臣達の意見にもかかわらず、城を出て戦うことを決断した。それがあの桶狭間の奇跡の勝利をもたらしたのである。
篭城して戦えば、少しはもちこたえる。が、それも一時のことで、やがては敗戦を免れることはできない。とすれば万に一つの可能性として、勝負をいどむほかはない。信長はその道をひとりで決断したのである。
一般に経営者は、多数の意見という世論を大切にしなければならない。しかしそれはあくまで平常の時のことである。非常の場合はそれだけでは解決しないことがある。
いつの世も、経営者は世論を超えた、よりよい智恵を産み出さなくてはならない。
もし信長が世論にとらわれていたら、あの勝利はなかったわけで、それを超えたところに彼の偉大な指導者たるゆえんがあったのではないだろうか。
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