戦国新報
 
 
平成7年 後期
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秀吉の両腕、半兵衛と官兵衛
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 「秀吉公は、かつて私に、私が立身したならば、高祿を与えると言われ、誓文までくだされた。しかしいまだその約束を果たしてくれない」友人の竹中半兵衛を訪れた黒田官兵衛が、こう言って嘆いた。笑みをうかべ、官兵衛のぐちを聞いていた半兵衛は、「その誓文、今、持っているのか」と尋ねた。「こうして肌身はなさずもっている」と官兵衛は大事そうに取り出した。「ちょっと、見せてくれ」と言うなり誓文を取りあげた半兵衛、何を思ったか、いきなり引き裂いて火ばちの中に投げ入れた。官兵衛は顔色を変え、「何をする。たとえ友とて許せぬ。訳をいってみよ」いきりたつ官兵衛を半兵衛はおだやかに制した。「こんな誓文を頼みとしているから不満もくすぶるし、働きも悪くなる。結局はおぬしのためにはならない」と親身になって忠告した。官兵衛は感じるところがあったのか怒りをしずめ深くうなずいた。

 その日から官兵衛は誓文のことはきっぱり忘れ、仕事に励み、やがて半兵衛とともに『秀吉の両兵衛』と言われる名参謀になった。

 修業することや大事な仕事をやりとげることに、安易な依頼心、執着心は妨げとなる。これをきれいさっぱりと忘れ、忍耐と努力があってこそ道が開かれるのではないだろうか。

【文:高田 金道】