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天正十年の山崎の合戦は織田から豊臣への政権交替の幕開けとなった。
本能寺の変から山崎の合戦までの十二日間の光秀は、信長を討った後、急に信長に対する怒りが冷えてしまい、良心は少しもやすまることなく、そこには天下をねらうというタフな行動は見られなく、軟弱なインテリ派武将にすぎなかった。
秀吉にとってそんな光秀はもはや「敵」ではなかった。むしろ「恩人」といった方がいいだろう。信長の一武将で生涯を終わるはずだった秀吉にとって、光秀は天下を秀吉に取ってやったようなものである。山崎の合戦が終わり秀吉は「光秀すまんな」と思っていたのかもしれない。
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【文:高田 金道】
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