能力も申し分なく順調に出世コースを歩いていた秀吉と光秀。その二人がなぜ天下取りレースにおいて明暗を分けることになったのか。それは二人の性格の違いが大きな原因だといわれる。
秀吉は大の宴会好きである。自分の足軽組には合戦の前に前夜祭のパーティをやらせるし、日常の生活態度は気さくで、人みしりをしない。そしてこういうことは出世しても少しも変わらなかった。
秀吉は仕事もよくできたが、主君や上役との人間関係をうまくやる必要性をよく知っていた。たとえば秀吉は織田家に仕えるやいなや、主君信長の徹底的研究を始めている。
光秀は今でいうと、東大を二〜三番で卒業したようなエリート官僚である。自分の能力に誇りをもっている。主君の好みを研究するより、軍学や築城術をみがく方が重要だと考え、人間関係の恐ろしさや、やりきれなさには無頓着だった。主君の気持ちを深く考えないから、信長の神経を逆なでしてしまうのである。この人間関係への配慮という心構えの差が、本能寺の変クーデターから山崎の合戦へとつながり、秀吉の天下取りレースが始まるのである。
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