戦国時代の組織図はおよそ三つの型の複合体になる。
A、新しい要求にこたえるように体質を変える。(建設型)
B、物事の良い面を持続する(持続型)
C、AやBを妨げるものを排除する。(破壊型)
これを武将にたとえれば、Aは豊臣秀吉、Bは徳川家康、Cは織田信長になる。現代の会社組織においても、おおよそこの三つの型にあてはまる。
総合的にはCの型が一番むずかしい。どんなに新しいことをやっても、組織の中には必ず古い部分が生じてくる。そしてこの古い部分は捨てられたりするのを非常に恐れている。このため信長は自分のブレーンに在来の家臣を登用せず、ヨソ者である秀吉と光秀を採用した。
また、本城をつぎつぎと移した。名古屋、清洲、小牧、犬山、岐阜、そして安土と。こうして家臣を、まるでフライパンの上で跳ねさせるように常に意識改革をさせ、流動精神を持たせたのである。生活の安定からくる「仕事への慣れ」を戒めたのである。
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