「自分が落ちぶれた時の友が、本当の友だ」この言葉をひとしお感じたのが石田三成だった。三成の親友のひとりに大谷吉継という大名がいた。彼は三成のやり方をいつも「ばかだ」と非難していた。
やがて秀吉が死んで、家康のわがままがつのった。怒った三成は「家康打倒」を考え、秀吉の恩を受けた大名達にこのことを話したが、加藤清正をはじめ、親豊臣大名が全部横をむいてしまった。三成は孤立し、誰も寄り付かなくなった。「勢いのいい時は、みんなチヤホヤして寄り付くが、落ち目になると誰も来ない」三成は大名達の友情のうすさをつくづくなげいた。
そんな時訪ねてきたのが大谷吉継だった。喜んでいる三成に彼は「おまえのばかな企てを止めにきたんだ。歴史の流れは家康に有利だ」「そんなことはない正義は俺にある」と言う三成に「お前の言うことはもっともだが、それがおまえの悪いくせだ。おまえの言うことはたしかに正しい。しかしその正しさをモノサシにして、いつも他人を裁く。他人はすべておまえのように優秀な人間ばかりではない。弱い人間はたくさんいる。そこを突かれれば、おまえを恨むようになる。だからこの戦いは勝てない」「そんなことはない。天が必ず味方してくれる」「天が味方しても勝てない」大谷はくりかえした。「なぜ勝てない」「おまえに人望がないからだ」「しかしかなりの大名が参加を申し入れてきている」「みんな日和見だ。どうせふたまたかけている」三成は苦笑した。「大谷、おまえも俺をみすてて家康側につくのか?」「俺はおまえを見捨ててはいない。だからこうして馬鹿なことはやめろと直言しにきたのだ」「負ける戦さだぞ」三成は苦笑した。「俺をみそこなうな、俺は最後までおまえの親友だ。直言することと行動は別だ」関ケ原の合戦で最も激しく戦ったのは大谷吉継の軍だった。主人の三成への厚い友情に、大谷の部下たちも感動したのだった。
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