戦国新報
 
 
平成4年 前期
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大相撲春場所いよいよ開幕若花田、貴花田、相撲人気絶好調
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 信長、秀吉、家康。三人の武将のなかで、一番気性の激しい信長が大の相撲好きだった。相撲を見るときは、人が変わったといいます。
 戦国時代、相撲の技は戦場での戦いそのものであった。信長は、安土城を居城としてからは、たびたび相撲大会を催している。天正六年の相撲大会では、近江国内の力士三百人が集められ、また八月の大会では、京都からも招集して千五百人の力士により三人抜きや、五人抜きの形で争われたといいます。とにかく、いまとは桁違いに盛大なものだったようです。力士に混じって家来の猛者も加わり、朝の八時から夕方六時まで、まさに力と技がぶつかりあった。信長は優秀な者には褒美として、黄金を与えたり、特にとりたてるなど、力士を非常に優遇したといいます。
【文:高田 金道】