信長が、戦国時代最も美しい城と言われた安土城を築いたり、また人々であふれる活気に満ちた城下町を作ることができたのは、大勢のすぐれた技術を持った職人を自分の元に集めることができたからです。それにしてもどうして信長のもとには、優秀な職人達が大勢集まったのでしょうか。
信長はつぎつぎと居城をかえていきました。そのため信長の近辺では、城や家を作ったり直したりする仕事が豊富にありました。そのためさまざまな職人がどんどん集まってきました。その中の一人、神社の大工だった岡部又エ門という人物は、城としては初めて屋根に瓦を使った安土城などをまかされたり、そのほかいろんな新しい技術にもいどむ大活躍をしました。
また、信長の元では土木作業も頻繁に行われました。街道の整備はもちろんのこと、安土城の石垣造りなどもそのひとつです。安土城の屋根に重い瓦を使うことができたのも、石の扱いになれた穴太衆(あのうしゅう)という人々が作った丈夫な石垣のおかげです。
このように、信長は優秀で、しかも大きな職人の集団を動かせる者を家臣に取り立て、多くの大事業をまかせました。
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