戦国新報
 
 
平成4年 後期
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家康は顔を真っ赤にして怒った
政治家の公私混同はもってのほか!
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 権力を手にすると公私の区別がつかなくなる人が世の中には多いが、家康にはそういうところがなかった。
 ある時、家康は駿府城の庭の泉水に安倍川の水を引きたいと考えた。奉行たちはさっそく安倍川から駿府城までの水道を地図上に線を引き、現場に表示を立てた。
 鷹狩りのついでに家康がそれを見ると、とある小さな寺院の境内を水道がつらぬくことになっている。奉行たちは寺院を移動させて水道を引く計画だったようだ。
 それを見て家康は顔を真っ赤にして怒った。「城に水を引くのは家康個人の用事である。そのために古来からある寺を壊すことがあってはならない。寺をよけるように水をひくならよい」と家康は言った。
 徳川の「御用」であれば何をしてもかまわないと考えたのは、家康ではなく、奉行の方であった。
【文:高田 金道】