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『将を射んと欲すれば、まず馬を射よ』という諺があるが、この兵法を地で行ったような戦があった。織田信長の命のもと、中国攻略を進める豊臣秀吉軍と対した、播磨の土豪淡河(おうご)定範と言う武将である。戦場を走り回る馬はすべてオス馬ばかりである。そこに目をつけ、メス馬ばかり五〜六十匹を放ち、わずか四〜五十人の手勢で数千の豊臣軍を見事に撃破したということである。数千の馬は、メス馬を見て跳ね回り、また踊り狂い馬上の武将はみなはねおとされ、踏み倒されたといいます。そこを淡河勢が襲いかかり、秀吉勢を退散させたのである。人も馬も、女の色香に弱いのは今も昔も変わらないということです。
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【文:高田 金道】
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