戦国新報
 
 
平成16年 前期
【 H16.3.28】
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人当たり
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 先週、「三日天下」で、光秀の予想が大きくはずれたことを書きましたが…。一時的には天下を取る事に成功した光秀だったが、山崎の合戦で秀吉に破れた。その原因はどこにあったのか?
 秀才の光秀は他人を理解することに欠けていたと言う。信長に信頼され、今でいう部長待遇で「スカウト」され、十年ほどで大大名にまで出世した。異例のスピード出世である。だが、光秀には彼なりの言い分があったようだ。エリートと言われ、学識といい、戦功といい十分人に尊敬されていい武将ではあったが、「とっつきにくく」いつも孤独で「ネクラ」の代表者のようであった。
 周囲の目から見ると、信長様に目をかけられ出世したのに「謀反」とは…。親族大名達からは「恩知らず」と言われ、相手にされなかった。
 それに比べて秀吉は、信長に「アルバイト要員」としてやとわれ、草取りからのスタートだった。やがて正社員として召し抱えられ、信長に対して感謝し、一所懸命につくしたのである。「ネアカ」の代表格で庶民的で人当たりが良く、明るい武将であった。
 天王山「山崎の合戦」は、秀吉の「庶民性」と光秀の「官僚性」の戦いで、秀吉の圧倒的な勝利に終わった。
 いつの世も、いつも明るく、笑顔で、一所懸命に付加価値をつけてがんばることによって、良い方向に進むような気がするが、なかなかむずかしい。

【文:高田 金道】