物事に対する決断はどんな場合もむずかしい。二者択一とか三者択一の決断を迫られることもある。ここで迷っていれば「優柔不断」だと言われる。しかしここで「決断」するのがリーダーであり、その人間の「度量」であり、「義務」であるような気がする。
戦国の世、関ヶ原の合戦前、西軍の将、石田三成に忠言した人物がいる。三成の親友大谷吉継である。吉継は、秀吉が百万の軍勢を与えて戦わせたい武将だと、秀吉に最もかわいがられた武将である。その吉継が三成に向かって「貴殿は才能はバツグンで他の武将にはひけをとらないが、ここぞという決断に欠ける。また貴殿は教養があって頭はいいが、他の武将のようにがむしゃらに突進することができない。いざという時にあれこれと考え、回りを気にして即座に決断が下せない。そういうところが貴殿の欠点だ」と言った。
三成は「ではどのように心がければ良いか」と尋ねると、吉継は「それは貴殿の心ひとつである」と応えたという。
吉継は顔にハンセン病をわずらっていた。秀吉の茶会の席上、回された茶碗の中に「膿」がひとつぶ落ちた。他の武将達は誰も茶碗に手をつけようとしなかったが、三成はそれを一気に飲み干したのである。その時の三成の精一杯の友情であった。こういう強い友情に支えられていたからこそ、吉継も三成に対して忌憚(きたん)のない意見を言ったのである。
不況の世の中、「決断」することは立派なことであるが、「情勢、判断」が甘いと成功は望めない。「決断」は自分の運命を100%変えることもある。だからなかなかむずかしいことだ。
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