戦国新報
 
 
平成9年 後期
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上司を動かす部下の心がまえ
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 信長が越前、朝倉義景攻略を決意した時、不安と心配を抱いたのが光秀と秀吉であった。 それは、信長の妹の「お市の方」の嫁ぎ先、近江の浅井長政と朝倉とは軍事的協力関係にあった。もし長政が朝倉攻略に向かった信長の背後を襲えば信長軍は完全に挟み撃ちに遭う。いかに信長軍といえ全滅の恐れがあるのは目に見えていた。それが光秀と秀吉の共通の考え方であった。しかし同じ認識を持ちながら二人の行動はまったく異なっていた。
 光秀はただちに自らの意見をそのまま述べたため、妹のムコであり、義弟にあたる長政を信じられないような者は顔も見たくないと激怒され、光秀は留守部隊へと回されてしまった。
 一方秀吉はというとそんな意見は口にも出さず、長政が背後から襲ってきた時のことを考え、その抑撃作戦に頭を使っていた。多数のラッパ(スパイ)を張り巡らし、どのようなルートを通過すれば信長が無事に京都に舞い戻ることができるかといったことに神経を張り巡らした。
 現実には信長は背後から浅井勢が迫っていることを知り、絶句したのである。その時、突然秀吉が現れ、この時のために用意していた情報に従い「私がしんがりを努めますので殿は一刻も早く京都にお戻りください」と進言した。事態はすべて秀吉が予想したとおりに展開し、信長は最大の危機を回避することができたのである。 不況な今の世も先を見通した計画が大事なような気もするが、なかなかむずかしい。
【文:高田 金道】