戦国新報
 
 
平成8年 後期
もどる
人を理解する
すすむ
 光秀は「本能寺の変」で主君信長を殺害し、一時的には天下取りに成功しながら「山崎の合戦」で秀吉の前に敗れた。
 その原因は「秀才」光秀は「天才」信長を理解することなく、信長を乗り越えようとしたことが、各武将達からあまりよく見られなかったからではないだろうか。
 光秀には彼なりの言い分があったと思われるのだが、周囲の目には「あれだけ信長様に目をかけられ、たった十年ほどで異例のスピード出世させていただきながら、謀反を起こすは恩知らずだ」と言われ、娘の嫁ぎ先である細川親子や自分の配下の武将達からも協力を断られ、孤立してしまった。
 結局「秀才」も「裏切り者」として汚名を着せられ秀吉に敗れたのである。
 親戚大名にまで見捨てられた光秀とは対照的に、秀吉は「主君の仇討ち」という大義名分があったことは大きかった。
 いつの世も人を理解するということがいかに大事であるか。世の中が不況であればあるほど、もっと対人を理解することが大事であるような気がする。
【文:高田 金道】