戦国新報
 
 
平成8年 後期
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秀吉に天下取りの道を開かせた戦国の寝技師
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 本能寺の変より十年も前に秀吉の天下制覇を予言していた人がいた。毛利家の外交僧として活躍していた安国寺恵瓊である。
 恵瓊は秀吉が京都奉行をしていた頃、将軍足利義昭公の処遇をめぐり、織田信長の代理人としての秀吉と交渉するために初めて出会った。その時の交渉は決裂に終わったが、席上で恵瓊は秀吉の非凡な才能を知ってびっくり。「信長の時代は三年や五年は続くだろうが、やがて大きくひっくり返る。しかし秀吉はなかなかの者である」と国もとの重臣にあてた書状の中で述べている。
 それから十年後、秀吉は備中高松城水攻めの最中、救援にかけつけた毛利軍との決戦は間近であった。その一方、裏では十年前のよしみで安国寺恵瓊を通して和平工作を進めていた。その矢先、本能寺の変が起きた。信長の死が毛利軍に知られると大変である。秀吉は早急に恵瓊に相談し、城主清水宗治の切腹をもって城内の五千人の兵を助けるという講和条件を申し出た。恵瓊は独断で高松城に赴き、宗治を説いて講和条件は成立したのである。
 そして、時間のない秀吉の「中国大返し」が始まる。
 恵瓊は秀吉の人柄に惚れ、将来性を見て、光秀謀反によって信長が死んだことを知りながら秀吉に協力したのである。
 いつの世も先見性があるかないかでその人の人生が大きく変わるような気がする。恵瓊はその後、秀吉に信頼され、部下となり六万石の大名に取り立てられた。十年前の予言が現実になったのである。
【文:高田 金道】