戦国新報
 
 
平成8年 後期
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無学者「草履取りのサル」の弔い合戦
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 本能寺の変を聞いた秀吉は「親父のように慕ってきた殿が」と鼻水をたらしてわいわい泣いた。だが身体の中から燃えてくるものがあった。
 それは光秀が親父の仇であるということと、他の武将の誰よりも早く光秀に戦いをいどむことが、天下取りの夢に近づくことになるのだと燃えたのである。
 光秀に加担するべき親戚の細川家、筒井順慶等は、官僚的なエリート光秀に加担した場合、案外冷や飯を食わされるのではないかと信用しきれないものが残った。これが人望のない光秀の誤算であった。
 一方秀吉はというと「中国大返し」後、城に残っている金、銀、米等すっからかんになるまで、自分の配下、足軽らに分け与えている。たとえ今がゼロになっても天下を取れた時はこの何倍にもなって戻ってくる。またもっと分け与えることができると、部下達を励まして総力戦で山崎の合戦に挑んだのである。このことが各武将達にも聞こえており、秀吉に協力することによって、もしかすると我々も今よりもっと良くなるのではないかと、百姓上りの秀吉に期待する武将達が多く集まったのである。
 秀吉は自分の才能を鼻にかけることもなく、伸びてくる人材を暖かい目でみてやり、はげまし、いたわる人情味のある男である。切羽詰まった中にも余裕があった秀吉と人望が無かった光秀。山崎の合戦の勝敗はこれで決まったようなものである。
 いつの世も、いつなんどきでも余裕がないとだめなような気がする。
【文:高田 金道】