戦国新報
 
 
平成7年 後期
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領民には名君と慕われた両者
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 明智光秀も石田三成も行政手腕もあり、武将としても一流の器量を持つ大名であった。しかし天下を自分の手元に寄せつけることができなかったことが『裏切り』とか『反逆者』とか汚名を着せられることになった。
 やはり天下人の器量と一大名としての器量とはかなり違う。光秀の所領、丹波福知山地方では、民政に心を砕いた『名君』として人気があった。三成も所領、近江佐和山周辺では『名君』として功績をたたえる声が今でも絶えることがないようだ。大名達の間では裏切りとか反逆者の悪いイメージではあるが、地元領民には二人とも非常にイメージが良い。
 一国一城のあるじであれば誰しもチャンスがあれば天下を取ってみたいという夢がある。光秀は三日天下で終わっているが、三成も徳川家康を相手に関ヶ原の合戦で堂々と五分の戦いを演じている。
 光秀と三成も二人の悲劇は大名と天下人との違いを意識せぬまま大決戦の場にいどんだことにあるようだ。
 いつの世も自分の仕事と能力をわきまえて行動することが大切なことであるようだ。そして夢とロマンを求めて仕事をし、それをいかに現実に近づけるかが、その人の人生ではないだろうか。
【文:高田 金道】