戦国新報
 
 
平成5年 前期
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信長流リーダーの条件は
「大胆にして緻密」
無敵を誇った武田騎馬軍団を壊滅させた信長の戦略
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 信長の軍隊は「長篠の戦い」への出陣に当り、木や竹の棒と縄を持つように支持された。今までの出陣には例のない話だったので足軽たちは「いったい何に使うのか」といぶかった。
 信長はこれで武田騎馬軍団を阻止する「馬防柵」を作った。しかも用心深く二重、三重に作られたのである。そしてこの柵の前にもまた「空堀」を二重三重に掘らせた。
 最後には三千挺もの鉄砲が用意されていて、その鉄砲隊もまた、第一隊が一斉射撃を終えたらすぐに後続の隊が交代して一斉射撃をするという具合に、二重、三重に策が取られていた。
 それを知らない武田騎馬軍団は群れをなして織田の陣地を目指して攻め込む。その直前まず「空掘」の前で立ち止らなくてはならず、騎馬軍団最大の威力のスピード性は、ここで途切れてしまい、次には「馬防柵」が待ち受けていて、敵をたおすどころか、まったく敵に到達できないわけである。そしてこの間に連発の鉄砲隊が狙撃するというしくみであった。戦いは織田軍の圧勝であった。信長のこの大胆にして隅々まで張りめぐらされた計算があったからこその勝利だった。
【文:高田 金道】