戦国新報
 
 
平成5年 後期
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若い時に苦労したことと部下の結束力
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 明智光秀は自分の主人である織田信長を殺したので逆臣と言われているが、光秀のまわりの近親者や自分の部下あるいは領民にはものすごく評判がよかった。彼の領国、近江(滋賀県)と丹波(京都)の二国においての経営は「思いやりがあって温かみがある」と言われた。とくに丹波の亀山(今の亀岡)と福知山は彼が開発の祖であってこの地方では、あまり悪口を聞くことがない。
 その光秀と信長の間には、はかり知れない人間対人間の葛藤があったのだろう。
 長い間放浪の身だった光秀が、信長と知りあい、その家来になり、ヒラから国主になるまでにわずか八年しかたっていない。中年者の中途採用者が八年で部長になるなどということは、今では考えられない。光秀の実力は、それだけ若い時に相当な苦労をしたということである。
【文:高田 金道】