戦国新報
 
 
平成5年 後期
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辛抱する心が強くなければ天下は取れない
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 徳川家康は忍耐を重ねた武将であった。例えば、小牧の一戦で秀吉が講和しようと言えばそれに応じて停戦し、秀吉が関八州を与えようと言えば、これを受け先祖伝来の三河を放棄した。北条進撃の先手ともなり、朝鮮征伐の謀議にも参加したり、その時代に順応して自然に大成した。このことは忍耐力が強く、辛抱の心が強くなければとうていできないことだ。
 「勝つことばかり知りて負けることを知らざれば、害その身にいたる」家康はつねに勝つことだけを考えず、講和するときは、そうして、譲るべき場合は譲ってきた。
 家康の辛抱する心がなければ大成しないという人生訓は、まさに今の時代にも言えることである。
【文:高田 金道】