戦国新報
 
 
平成4年 前期
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信長の革命的人事戦略
すすむ
 織田信長の天才ぶりは徹底した合理主義と機能主義にあった。鉄砲を使った戦術革命、また、楽市楽座といった経済革命にあらわれている。その中でも画期的だったのは、人事に関するものであった。信長の人材革命といわれるのは、兵農分離をおこない、戦うためだけの軍隊をつくったことにある。それまでの農民を兵士とする軍隊は、農繁期には動かせないし、大量の兵士を集めれば生産高が減ってしまう。その点、信長は基準をガラリと変えて「兼業兵士」から、金で雇われる「専業兵士」へと、当時としてはまさに革命的な人事戦略をとったのである。これならば一年三六五日戦えるし、領内の生産高にも影響がない。こうした徹底的な合理主義で「戦争に専念する軍隊」を作りあげたことにより、信長の天下取りの夢が加速度的に速まったのである。
【文:高田 金道】