戦国新報
 
 
平成4年 後期
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戦わずして勝つ
豊臣秀吉が、信長、家康以上の人気を得たのはなぜか?
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 今の時代もPRの時代だが、戦国の世にもPR上手だった秀吉は、とんとん拍子に出世コースに乗り遂に天下を取った。秀吉の戦略は、自分を平和主義者とする自己宣伝をしたところにあった。信長も宣伝が下手ではなかったが、エリート意識の強い信長の場合は、人心を恐怖におとしいれるものが多かったので、人々は危険を感じたようだ。
 秀吉は庶民出身であることを売り物にし、文章も信長と比べるとぐんと劣るのだが、それだけに親しみがあり、説得力があった。秀吉が強調していたのは「人を斬ることが嫌い」なことで、自分に味方する者には、国や群を分け与えて安堵させてやり、逆らう者は成敗する。この「無益な合戦はせず」を大々的にPRして遂には天下を取るのである。
【文:高田 金道】