戦国新報
 
 
平成3年 後期
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徳川光圀(水戸黄門)が「黄門様」と呼ばれたわけは?
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 この「黄門」とは、中納言という官名の名称です。中納言は、朝廷から与えられる官名で、元々は中国の律令制にならって作られたものです。そして門下省という役所の次官の役名を「黄門侍郎」といっていました。中納言は太政官の次官に当たります。
 その職にあった中納言光圀公を「黄門様」と言ったのです。「黄門様」はなかなかの名君でした。文武を奨励したり、領民統治になみなみならぬ政治手腕を発揮しています。その中で最も有名なのが「大日本史」の編纂です。光圀は江戸の藩邸に学問所を設け、学者を集めてこの仕事にあたりました。助さん、角さんは、この大日本史編纂の史料集めに各地を回ったといわれています。
【文:高田 金道】