戦国新報
 
 

平成25年 前期
【 H25.2.3】

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木都能代の始まりは…。

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 能代港と東洋一の木材都市を歌った校歌がある小学校で歌われた。
「わが東洋にたぐいなき 製材所もて知られたる いとも住みよき能代港」
いつの時代から天然秋田杉は有名になったのだろうか。

  戦国の世、秀吉が天下を取り、平和になった頃、秋田実季(さねすえ)は檜山城主として家督を継いだ。その頃秀吉は京都に伏見城を築城することになった。

  実季は秀吉に忠誠心を表すために、野代港から天然秋田杉を日本海航路を利用して大量に献上した。そして伏見城が完成した時、天然秋田杉の柾目杢目の美しさに、秀吉もびっくり、大いに喜んだ。 また各大名達もその美しさに感動し、実季には注文が殺到し、伏見城の築城が「きっかけ」となって秋田杉が全国に認められた。

  いつの世も、その名を高めるためには、何事も「きっかけ」が大事だ。その「きっかけ」をつかむためには、日々の努力が大切だと思うが、なかなかむずかしい。(平成二十五年二月三日)

 

【文:高田 金道】