戦国新報
 
 
平成13年 前期
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志と運
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 日本人ほど「運」という言葉を大事にする国民はいない。アメリカ人はあまり使わないし、その国々の文化によってかなり違いが有るような気がする。毎日の仕事の中で、誰にでも「運」はあるものだ。ただそれを「つかめる人」と「つかめない人」がいるような気がする。「運」のいい人は「志」を持って頑張っているような気がする。
 戦国の世、秀吉が「運」の良い男の代表だ。本能寺の変で信長の死を知った時、秀吉は「もしかすれば天下を取れるチャンスかもしれない」と判断した。ライバルである柴田勝家は「織田家の相続争いぐらいにしか考えていなかった。本来ならばどちらにも天下人になる「運」が回ってきていたはずだが、その「運」に気づくか気づかないかが運命の分かれ道になった。秀吉はそれを早急に気づき「志」を持って対応したのである。
 今の世の中、自分の仕事に「誇り」と「志」を持ってがんばることで「運」が向いてくるような気がする。また「運」のいい人とつきあったり、「運」の良い会社と取引をしたりして、他人様の「運」に乗っかって、自分を生かすことも大事なような気がするが、なかなかむずかしいことである。
【文:高田 金道】