戦国新報
 
 
平成12年 後期
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相手の性格を見抜く
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 人は「気配り」をするためには、相手の性格を把握することから始まるような気がする。たとえば女性なら、どんな色が好みか、どんな花が好きか、色と花の好みによって相手の性格をある程度把握できるような気がする。戦国時代、「すぐれた気配り人間」として有名なのは秀吉。秀吉が「気配り」が上手なのは、「人たらし名人」だという人もいる。また「人たらし名人」だからこそ、気配りがかなりのハイレベルだったような気がする。
 「秀吉死すとも気配りは死なず」という人もいる。秀吉の人の気持ちを読むパフォーマンスの中で有名なのが、主君信長の草履取りの話である。ある寒い朝、草履を自分の胸に抱いて暖めた。信長は一瞬草履に座っていたと勘違いしたが、胸に暖めていたことを知り「なかなか気配りのあるやつだ」と誉めたという。同じ気配りでも受ける人間によって違いが出てくる。
 もし秀吉が明智光秀の草履取りだったら、光秀はたぶん「胸が汚れるからそんなことはしなくてもいいぞ」と言い、心の中では「わざとらしいことをする奴だ」と思う。もし家康だったら「こんなことはしなくてもいい。お前が寒い思いをするだけじゃ」と言うだろう。
 このように同じ草履取りでも、相手の性格によって受け取り方がまったく違ってくるような気がする。ある人は「すばらしい」と感動し、ある人は「いやらしい」と思うかもしれない。何事も「気配りは人を見て行え」ということである。 営業するに当たって、相手の性格をつかむと同時に状況もつかむ。どちらにしても「目配り、気配り」を中心に、相手を見抜く必要があるような気がするが、なかなかむずかしいことだ。
【文:高田 金道】