戦国新報
 
 
平成11年 前期
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いざという時、頼りになる人
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 戦国の世、明知光秀は自分が天下を取れるものと計算して、本能寺で信長を倒した。そこまでは良かったが、秀吉の計算外の「情報力」と「機動力」によって山崎の合戦で大敗した。学識も教養もあった光秀の、教養のない秀吉を見下した計算が大敗の原因だったようだ。再起をかけ坂本城に行く途中、落ち武者狩りの土地の者に竹槍で倒された。光秀の警護についていた部下は七人。つい昨日まで天下を取るという勢いの人物に、たった七人の部下しかついて来なかった。山崎の合戦時、光秀方の軍勢は一万五千人余り。戦いで倒れた者は約千五百人。残った軍勢で光秀を無事に坂本城に帰城させる気になればいろんな手段があったはずである。しかし部下のほとんどが光秀を見捨ててしまった。
 結局、光秀は天下の主たる器ではなかった。優秀な部下を持ちながら十分に使いこなせなかったところに問題があったようだ。
 いつの世も自分についてきてくれる人、信頼できるひと、意見をどしどし述べてくれる人、いざという時、腹をわって相談に乗ってくれる人達が、いかに自分の回りに多くいるかいないかによって人生も大きく変わるような気がする。だがなかなかむずかしい問題だ。
【文:高田 金道】