戦国新報
 
 
平成10年 後期
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ライバルと呼べる友は、師である
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 ライバルと呼べる友がいる人は幸せである。なぜならばライバルと共に成長できるからである。友に負けまいとする競争心が、自分の向上心を引き起こすからである。名もないマラソンランナーがトップランナーについて行くことだけを考えて走った結果、大幅に自己記録を更新することがある。トップに引っ張られた結果のような気がする。
 徳川家康は武田信玄に相当苦しめられた。その信玄が死んだ時、家康の家臣達は手をたたいて喜んだという。しかし家康は喜ぶどころか、家臣達に向かって、「信玄のような敵将の死は喜ぶことではない。我が国は信玄というライバルがいたからこそ常に危機感を持って自分の国を守り、そしてまた戦いのいろいろなことを学んだ。人は目標がなくなれば心がけも弱くなる。信玄を標的として武道をみがいたおかげで兵卒まで甲州の戦いには粉骨砕身の働きができたのである。目標を持つということは誰もが忘れてはならないことである」と語った。
 ライバルというものは憎むべき敵ではなく、自分を伸ばしてくれ師なのだ。ライバルの存在に感謝することで自分の成長へとつながっていく。
 不況な世の中も目標とする相手をライバルとして励むことで良い道が開けるような気がするが、なかなかむずかしい。
【文:高田 金道】