戦国新報
 
 
平成10年 後期
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なぜ三成は家康に負けたか
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 三成は上司がいてこそ実力を発揮するタイプであった。つまり秀吉という後ろ盾があったから権威を奮うことができたのである。しかし秀吉抜きで戦うとなると、うまくいかなかった。三成は兵糧や大名の折衝といった調整には秀でていたが、もともと戦いのファイターではなかった。
 その反面、家康は生まれつきのファイターだった。しかもそのことを部下達は知っていたし、戦う時は絶対に躊躇しなかった。しかも単なる猪突猛進型ではなく、秀吉とだけは絶対勝てないとわかると無駄な抵抗はやめて律義に仕えた。このあたりが家康の偉いところである。しかし他の大名達は、家康という人間はファイターであり、もちろん戦いにも秀でた人間であることを十分に知っていたのである。この辺が三成と家康の人物の違いである。
 現場に弱い指揮官と、現場を掌握している指揮官との関ヶ原の戦いは、結果は明らかであった。
 不況の今の世もファイター型思考でがんばらないとだめなような気がするが、なかなかむずかしい。
【文:高田 金道】