素早い対応と知恵
秀吉が天下人としての力を国内外に見せつける中、再び大きな地震が襲ってきた。天正地震から十年後の慶長伏見地震であった。秀吉の隠居用の城として築城中だった伏見城の天守閣が倒壊した。淀川も決壊して水が町中に流れ出した。秀吉は官兵衛に何か応急処置ができないかと相談した。官兵衛はそれなら城内の米蔵にある米俵をいただきたいと申し出た。そしてその米俵を淀川の決壊場所に運び積み重ねた。やがて水も止まり川の氾濫もおさまった。その後、官兵衛は土の俵を持ってきた者にはここにある米俵を与えると農民達に伝えた。それを聞いた農民達は我先にと争って土の俵を持ってきた。米は濡れても乾かせば食べられる。その上、大阪城にあった米だから質も良かった。たちまち米俵は土の俵と交換された。秀吉はじめ家臣たちは官兵衛の素早い対応と知恵に感動した。
いつの世も、素早い対応と素早い発想、知恵により、困難は乗り越えられると思う。だが、なかなかむずかしいことだ。(令和六年九月八日)